わたしたちのこと
(ヤワタホームについて)

歴史と実績

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ヤワタホームの歴史は、木と向き合った事業の変遷。
大工棟梁の魂が、現在のプロ意識に受け継がれています。

 ここに、一枚の棟札(むなふだ)があります。これは、職人が自分の名前を木の札に記し、天井裏に貼って、自分の仕事に対する責任と誇りを後の世に残すもの。いわば、「建築の記録」ですが、この古い棟札には、現社長の曾祖父・八幡巳之助(みのすけ)の名前が、大工棟梁として記されています。
 ヤワタホームは、明治時代、一人の大工棟梁からはじまりました。当時は、現在のように「ビルダー」という存在はなく、家を建てる仕事=大工棟梁。つまり、大工棟梁が職人をまとめて家を造っていたといいます。また、20年ほど前まで、本部のある鹿行(ろっこう)地域のお祭りに、初代がつくったという山車(だし)がまだ走っていたという話も。こういったエピソードからも、初代の根っからの職人気質がうかがえます。
 さて、二代目は大工から一転、材木業を営むことになります。巳之助の息子・三郎と正(現社長の祖父)は、「八幡材木店」をスタート。当時は、自ら山に入って切り出した木を製材して販売していたといい、無垢の木にこだわる現在のヤワタホームの原点は、ここにあるといってもいでしょう。そして、三代目にあたる現会長・八幡正毅が、昭和38年、茨城県神栖町にて「株式会社八幡」をはじめました。
 ここで、三代目は、ある疑問にぶつかります。材木屋が材木を売る相手は、大工さんです。大工さんは「家を建てるプロの職人」ですが、図面をひいたり、お客さまの要望を聞いたりという観点が必要ではないかと。もっと、お客さまに寄り添う仕事がしたい。そこで、「家を造る」という原点に立ち戻り、昭和47年、「ヤワタハウス」をスタート。そしてさらに気がつきます。自分たちが大事にしているのは、「ハコとしての家を造ること」ではなく、「そこに暮らす家族がいかに幸せでいられるか」ということだと。
 「家造り」から「住まい創りへ」
 これが、昭和55年に、「ヤワタハウス」から「ヤワタホーム」に社名を変更した理由です(ハウス=家ではなく、ホーム=家庭)。この想いは、四代目である現社長に、さらに想いを熱くして、受け継がれているのです。

現社長の曾祖父・八幡巳之助が記された棟札(むなふだ)

北総の地に木材と関わり1世紀。ビルダーとして43年余り。
3100棟を超える実績で、地域の方々に支えられてきました。

 ご入居いただいてから何十年も住んでいただく、お客さまにとっての大切な家。ヤワタホームでは、お引き渡しが終わってからが本当のお付き合いだと考えています。
 アフターサービスは、保証書にどう書いてあるかだけではなく、実際の対応力が大切です。だから、お客さまが困った時にはすぐに駆けつけられる圏内を施工エリアとしてきました。すべてのお客さまに責任を持ってお付き合いできるよう、専任のアフターサービススタッフが活動しています。また、ガーデンビオン成田やその他分譲地には、社長や社員自らが家を建てて暮らしていることも安心していただける理由のひとつ。これからも、お客さまに末永く落ち着いて暮らしていただくために、「安心のエリア」を大切にします。

地域の方々に支えられ、
施工実績3100棟超。

ヤワタホームの施工実績が、おかげさまで3100棟を越えました。この数字は、地域における信頼の証。これからも、より地域に愛される企業を目指して、事業に取り組んでまいります。

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